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濱條智里「プール」 わかる詩、感じる詩 [something blue]

プール        濱條智里


小さな坂道や 三毛猫がいる狭い路地を通っ
て 近道をしたけれど クローバーが茂って
いる空地に出ると足が止った ちょっとした
段差があるだけだが 回りの水分を吸い込ん
だように 今日は足が重い 会合の時間が迫
っているので わたしは咄嗟に頭を空っぽに
して 足を浮かせたけれど もう近道はしな
いでおこう その日の午後プールに行くと
コンニチハ 久しぶりですね 隣から声をか
けられた 時々見かけるきれいな色の水着の
人も 足に問題をかかえている 誘われて出
かけたけれど 今日の会合は行かなくてもよ
かった などと思いながら わたしたちは何
回も行ったり来たりして 元のかたちに戻っ
ていく  


        *
 私にとって詩は<わかる詩>と<感じる詩>があります。<わかる>というのはその詩がつたえようとしている内容や一行一行の言葉の意味が<わかる>ということです。そして、<感じる>というのはこうした内容や意味があまりよくわからないにも関わらず、何か確かなものを<感じる>ということです。この詩は私にとって<感じる詩>の代表的なものだと思います。それは何を感じるかというと、何か小さなものです。小さな小さな限りなく小さなものを
私はこの詩を読んで感じます。
 それはもしかしたら、現代という限りなく肥大してしまった世界の<私>という存在なのかもしれません。私にはこの詩がどこかしら、とても現代的な感じがするからです。

 <小さな坂道や 三毛猫がいる狭い路地を通って 近道をしたけれど………………>どこまで
引用していってもきりがありません。どこまでもつながっていく感じです。そうしながらどんどんどんどん私的な世界に入っていくようで、それはとても微細な存在を向かっていくような
感じがします。生命(いのち)というものはこんなに微細なものだったのかとびっくりするのです。
 しかし、わたしはにはこの詩が伝えようとしている意味や内容は殆どわかりません。
 この詩で気になるところは最後の四行です。
 <誘われて出かけたけれど 今日の会合は行かなくてもよかった などと思いながら わたしたちは何回も行ったり来たりして 元のかたちに戻っていく>
 特に<わたしたちは何回も行ったり来たりして 元のかたちに戻っていく>の部分は不思議な感じがします。もしかしたら、ここにこの詩の意味が隠されているのかも知れません。できればいつかその意味を知りたいと思います。

 私はこの作品を読んで、あるとき、突然、志賀直哉の「城の崎にて」を思い出しました。それがどんな意味があるのかわからない。でも私は感じるのです。
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