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ふるいつきたくなるようなグリーティングカード [めちやくちやに]

 わたしがパソコンを始めていちばんはじめにであった面白いものは、この13歳のマイルズ・クーレイがつくったイラスト・ゲームで、ふるいつきたくなるようなグリーティング・カードでした。アメリカのこの少年は学校に行かずに両親のもとで教育をうけ、イラストをつくり続けているそうです。ここを開いてみてください。

 http://www.brookviewcottage.com/
     miles/cards/cardsr.html

 

働くこと [めちやくちやに]

 こんなことを書くとどうせ三日坊主なのだから、あとから自分で恥ずかしくなるかもしれないけれど、この年になって働くことが少し好きになった。いままで一度たりと労働というものが好きになったことがなかったのだ。大変気まぐれであるし、あまりに無責任に書くことは欺瞞であると思うのだが。もし、長生きできたら、たくさんたくさん働きたいと思う。それはもしかしたら、幸せなことかもしれないと思い始めた。
 もう5年ほど前に、クミコの娘達がやつてきて、一冊の分厚い雑誌をおいていった。その雑誌の名前は
「purple」というらしかった。その本は何百頁もが殆ど写真でできていて、5パーセントぐらいは文字でできていた。文字といつても、フランス語か英語で書かれていて、殆ど私にはわからなかった。その本を初めて眺めたとき、何も感じなかった。けれども、退屈なときにときどきぱらぱらとひらいてみると、なんだか
すこし面白くなつた。どうしてかわからないし、何しろその本が何の本なのかわからなかったのでした。いくら外国の雑誌だとしても何の雑誌かぐらいはわかるものではないかしら?雑誌といっても紙が立派なので本のようであった。その不思議な雑誌は最初はヘルムート・ラングとかコム・デ・ギャルソンとか
ドリス・ヴァン・ノッテンとかのファション雑誌のようでもあり、次の若い写真家たちの作品集のようでもあり、最後にはグラフィック・デザイン集でもあった。そして、ぱらぱらとめくってみると見れば見るほど、だんだん興味深く思えてきた、並べ方も、レイアウトもデザインも編集も実に周到にできていた。こんな雑誌
があったのかとまるで関心してしまつたわけである。しかし、なんといったらいいのか、初めからそう思ったわけでは断じてない。
デザインとか、写真とか、ファッションとかはなんの腹のたしにもならない。そのうえ、芸術とかアートとかというそんな高尚なものでもない、なんの変哲もないスーパーマーケットからふたりの女がでてこようとしている。白い毛糸のようなものをごたごたの身につけている。ところがこのふたりの女は有名なモデルらしい。ルーブルのすぐ前の公園のようなところをごたごたと荷物をもちながら、よこぎつているかと思えば
もうニューヨークについて、ちょーどあの貿易センタービルの二本のビルが見える対岸で、みんなが寒いのに散歩している。その次はサツカーか何かを観戦している。日本人の女も三人ぐらいいる。こうしてふたりの女のモデルはなにげなく冬のモードを世界中人々に披露しているのである。
こんな本、わたしは見たことがなかった。だんだんにわたしはその本がすきになった。その分厚い本を
エレンとオリヴィエがつくったのである。なんといい本なのだろうと私は眺めた。それから、エレンとオリヴィエはわかれてしまった。そこで本はふたつに別れ、「PURPLE」をオリヴィエが、「LE PURPLE JOURNAL」をエレンが創り始めた。オリヴィエはクミコの娘と一諸にくらしはじめ、娘アジアが生まれ、そして、ふたりはもう別れてしまった。アジアはまだ1歳にはなっていない。アジアはブラームスがお好きらしい。ところで、オリヴィエはとてもよく働くと聞いた。彼が働きあんなにいい本をつくったのだから、
わたしも働き、いい雑誌を創ろうとおもった。青い石さんがいってるようにねわたしも幸せになりたいと思う。明るい美しいモーツアルトのディヴィルトメントのような詩の雑誌ができるかな?その雑誌の名前を
something2といいます。オリヴィエ ザハームに敬意をこめて。よく働こうかな。

ハス博士は語る [めちやくちやに]

 「僕がなぜハスのことを知りたいと思ったかといえば、君と暮らしているからだ」と今日ハス博士はいって、まったくびっくりした。「でもどうして?わたしとハスと何の関係があるの?」と聞いた。「ハスは恐らく、
エジプトから伝わってきたのだよ。それから、インドに伝わり、タイやミャンマーに伝わり、中国を通って
日本に入ってきた。でも、エジプトからどのように、インドにつたわったかはわからない。恐らく、ナムの海のナムの国のひとびとがハスを運んだのだろうけれどね。エジプトとインドの間にあるイランやイラク、昔のシュメール文明にはあまり、ハスが見つからないのは、どうしてかわからないけれど。もう何千年も前のことだから、よくわからない。ハスはハスという物体以外のものがなく、あまり論理的でないルートを伝わって、アジアの人に愛されてきた。このあまり論理的でないものという意味できみも何かをひとにつたえようとしているからさ。」とハス博士がいう。「それじゃあ、わたしがいうことは、お里が知れるわけね。」
「そんなことはない。そういういみじゃあない。つまり、僕自身が矛盾しているんだよ。つまり、あまり論理的じゃないハスという実体を論理的にかたろうとしているからさ」「ふーん」わたしはわかったようなわからないような気分になる。「じゃぁ、文化人類学はみなそうなの?」「まあ、そうだな」
 ところで、埼玉県の行田市にわたしたちがついたのは、まだまっくらな3時半、車のなかに蚊が一匹入ったので眠れなく、うっすらと開け始めた広大なハス畑を男たちはあるきはじめた。白いハスばたけのむこうに、大きな池のようなものが見え、ざわざわとするおおぶりのハスが揺れている。なぜこんなところに
わたしはいるのか?あの三人の男たちはだれなのか?どんどんハス畑のなかに入っていき、池のなかにひかれている橋を渡ってはすのなかに見えなくなった。シーンとしていて、ハスばかりがかすかにゆれている。ここは天国でもなければ、極楽でもない。ただ現実のハスがほんのすこし開き始めたらしい。
ヴィシュンヌは原始の水に横たわり、そろそろ世界を創ってみようかとおもった。かれでもあり、かのじょでもあるヴィシュンヌはお臍のあたりから茎のようなものをのばし、そのうえに、ハスの花を開いた。その開いたハスの花のうえにブラーフマンを乗せた。ブラーフマンはこうしてハスの花のうえで世界を創造した。まさか、では、この池でハスはしずかに開き、あちらでもこちらでも数かぎりない世界が創造されているとあなたは考えるのですか?博士。 その向こうの池ではビスケット工場にしようと掘り返した土の中から、1200年〜3000年もの時を眠っていた世界がいま目覚め、いくつもいくつも光を浴びてすきとおり
花ひらこうとしているのですか?博士。 あの花の話はエジプトからインド、タイ、ビルマをとおり、中国をとおり、
そんなに遠くやってきたのですか?博士。それなら博士。論理もへったくれもなく、花が開く時にやってくる世界をよくみてみなければ。花が開くときに奏でられる音楽をきいてみなければ。香りをかいでみなければ。ねえ。

ハス博士は語る [めちやくちやに]

 「スイレンは夕暮れには花を閉じ、水の中深くもぐってしまうので、手がとどかない。」ハス博士はいう。「夜明けにになると、東の方にむいて、再びうえのほうにのび、光を浴びて花を開く。神話では
赤いスイレン、すなわちハス、「世の初めから存在していた花」が原始の水であるヌンから現れ、または、「光からあらわれた」、この花は水や火、すなわち、混沌の暗闇と聖なる光それぞれとみっせつなものであった。水から現れたハスは、夜が終わって明ける太陽のシンボルとなつた。エジプト人がよく考えたことは、太陽神が、原初の湖からハスの花に乗って現れる、という考えであった。『死者の書』の15章では、ラーは「ハスから生まれた黄金の若者」として現れる。81章で、死者は聖なるハスに変身したいという願望を口にする。これは再生の望みを表現したものです。青いハスは、とくに、聖なる花とみられたのです。新王朝時代の多くの墓の絵画では、死者がハスの香りで気分を爽やかにしている様がみられます。ツタンカーメンの墓から出土した木製の彩色された彼の肖像の頭を見ると、王はハスの花から立ち上がっている。ハスはとりわけ、神フェルテムのものであった。」ハス博士は何度も何度もこのようなことを
わたしにきかせたが、わたしはいつもすっかりわすれてしまった。「アジアのひとはなぜハスの花を好むのだろう?」と私に聞き「そこにあったからでしょう」とわたしがいうと、その考えは面白くないといつておこったり、何日も何日も傷ついたように黙ってしまったりした。彼は私に、いろいろなこと教えてくれた。モーツアルト
も、ランボーも、原爆のことも、けれどもハスのことはまだわからない。時間がかかるのである。かれは
ハスの映画を作りたいと思い、何度も何度も企画書を書くがまだ一度も通らない。

happyということ [めちやくちやに]

 ここまで書いて、昨日あたりから、なにかをしきりにわたしは考えていた。この a happy blog−明かるいブログ というタイトルに惹かれたのだ。というより誘われたのだ。とわたしは思っていた。わたしはこの数年
、わたしらしくない、というよりとても難しい詩、戦争、子どもの不幸な事件、原爆などをテーマに書いていて、へとへとにつかれていたのだおもった。勿論、それはわたしにとつて重要なことではあったし、それを
書いていることに後悔はないけれど、たまには軽いものや、あかるいものや、無防備なものややさしい
気持ちが必要であり、手放しで嬉しいことがあつてもいいではないか、と思ったに違いない。そういうことはつまり、happyなことはだいすきだし、おいしいお酒でも飲むみたいに味わってみたいと思ったのかもしれない。でも、苦しいことと幸せなことを、どうじに考えたり、かわるがわる考えたりすることはとてもむずかしくもあるけれど。まあ、能力もあまりないのだから、やれることまでやればいいとおもうけれど。
 たとえば、ランボーが「地獄の季節」というとてもロマンチックな苦しい詩を書いてから、「イルミナシオン」という明るい何ともいえない詩的言語によって、思想や生き方をつくりあげたということは驚異なのだが、あれはどちらが先に書かれたものなのだろう。ラコストというこうひとの説によれば、「地獄の季節」が
先で「イルミナシオン」が後であるといわれているけれど。けれども、わたしは同時にあちらこちらと書かれたのかもしれないと思う。もし同時にかかれたとしたら、かれはどのように彼自身をコントロールしたのだろう。あるいは、それが自然だったのかもしれないとも思う。happyになったり、unhappyになったりしながら
自動的に生きていくのだろうけれど、この二つのことをどうじに書くのは難しいのだとおもう。でも、現代は
この二つのことをバランスをとりながら、いきることを要求されているのかもしれない。

去年わたしは男だったの、とクミコはいった [めちやくちやに]

 「去年わたしは男だつたの」とクミコはいつた。えっとわたしたちがいうひまもなく。「それまで銀行で
お金をおろすとき何の問題もなかったのに、突然三人の行員がよってきて、逮捕されたの。」「このパスポートでは、あなたは男になつています。」と係員がいうのよ。」「えっといって、わたしは思わず下をみて、
ズボンを脱いでたしかめるところだつたの。あのロシアのあんぽんたんたちとおもったわ。だってロシアに滞在するためのパスポートはいつも写真が斜めに切られていたり、名前が間違えていたりするのでいつも気をつけていたけれど、こんどは大丈夫だとおもっていたのにね。わたしが男になるなんてねえ。」
 みんなで大笑いしたあと、私が撮ったデジカメの蓮の花を大きなテレビの画面で観た。
 実は、おととい、わたしはクミコと長い長いおしゃべりのあと、夜の十一時半に家を出で、十二時半に渋谷の東急に着き、カメラマンの神さん兄弟とハス博士というあだ名のわたしの夫と車で首都高速道路を
走っていたのだ。クミコが朝の十時に現れたのだから、翌日の十時まで殆ど眠られなかった。車は前から
横から後ろから他の車が迫ってきて、びゅんびゅん、がたんがたんと音がしてねむるどころではない。車にはナビゲーターがついていて、「あと700メートルしたら、右へまがつてください。パトカーが後ろから
やつてきています。スピードを落としてください。」とかいって、ちいさな画像がめまぐるしくうごく。このナビゲーターは全国的に使う事ができるので、外はまつくらだし、まるでゲームセンターでゲームをしているようなかんじでした。

あれは [めちやくちやに]

 「あれは、やはり、ルクサンブル公園じゃないかしら?」「ふーん、やっばり、ルクサンブル公園にマロニエがはえてる?」「うん」「ほんと?」「ちょっとまって」彼女は THE PURPLE JOURNAL という
雑誌をひろげてみせる。なるほど、ルクサンブル公園にはよっつに分かれたはっぱのマロニエとジャンヌ・ダルクの像が載っている。この大理石の像は戦う少女ではなく、聖女になつたりしている。朝電話がかかってきたので、いまどこにいるの?ときくと、武蔵野駅という、三鷹じゃない?ときくと、ああそうそうという。私の友達クミコはパリからやってきて、わたしが落ち着かなくオシッコするひまもなく飛び出していくと、もうバスの停留所にとまっていた。
それから、レンコンの天ぷらなど食べてすごした。クミコはELEIN FELEISS と OLIVIER ZAHM
に関心があって、いろいろ話しを聞いてみると、 エレンの雑誌に書き、オリヴィエの娘がクミコの孫になつていたりして、その子の名前はアジアであるといつたりして、わたしの頭は混乱した。それから、わたしが三日間
だけ見ることができたフランスのテレビのことを話すと、彼女は半年ばかりテレビはみていないといって
驚いた。(ずっとつづく)

ときどき [めちやくちやに]

 ときどき、死んでもいいから、こういう詩を書いてみたいと思う詩には出会うことがある。しかし、本当に
面白い文章やお話にこの頃、出会ったことがないと考えていたわたしは度肝を抜かれてしまった。図書館の一階は絵本を読む場所で、小さい子たちと、ちいさい椅子に腰掛け、これも、小さいテーブルで世界一豊富だというこどもの本を読んでいた。
 その絵本はジェニーという女の子が食卓に座っていて、向こうの壁にモナ・リザの絵がかかっているのだが、吹雪純そっくりに微笑んでいて、まるで愉快なのだ。
 「はじめ、ジェニーには なにもかも そろつていました。2かいには まるいまくらが、1かいには しかくい まくらが ありました。くしが ひとつと ブラシが ひとつ、のみぐすりが ふたつ、めぐすりが ひとつ、みみの くすりが ひとつ、たいおんけい 1ぽん、それから さむいときに きる あかい けいとの
セーターが 1まい。そとを ながめる まどが ふたつ。しょくじの おわんが ふたつ。かわいがってくれる ごしゅじんも いました。でも、ジェニーは たいくつでした。」そこで、ジェニーは きんの とめがねが
ついた黒い鞄に一切合切つめて、お気に入りの窓から、景色にお別れわ告げました。
「なにもかも そろつているのに」と植木鉢の花がいいました。花も、同じ窓からそとを眺めていたのです。
ジェニーは、葉っぱの一枚噛みちぎりました。「まどだって、ふたつ」花はいいました。「わたしの 窓は、
ひとつだけ」ジェニーは ためいきを ついて、はつばを もういちまい 噛みちぎりました。はなは、いいつつげました。「まくらが ふたつ、みみぐすり ひとつ、のみぐすり ふたつ、たいおんけい いっぽん。かいぬしも かわいがってくれる」「そうよ」といつて、ジェニーは つきづぎに はっばを 噛みちぎりました。
 ジェニーは、はつぱで くちが いっぱいなので、ただうなずきました。「なのに、どうして でていくの?」
 「それはね」ジェニーは、花を くきごと かみ切りました。「たいくつだから。ここには ない ものが
ほしいから。なにもかも そろつているよりも もつと いいこと きっと ある!」花は、もう なにも いいませんでした。 なにも いえなくなったのです。
 ひらがなでかいたり、漢字で書いたりしたけれど、これがモーリス・センダックの「ふふふん へへへん
ぽん!」——もつと いいこと きつと ある——の最初の2頁です。世の中にこんなに面白い本があるとはしらなかった。もうおわかりとおもいますが、このヒロインは犬なのです。この犬は冒険の旅の末、
ハルカノシロの世界劇場の人気女優になるのだが、おもしろいことに、このジェニーははじめ何もかもそろっているのに、経験だけがないので、主演女優になれない。赤ちゃんの身代わりに食べられようと
ライオンの口のなかに、自分の頭をつっこむという勇気にみちた行為をする経験を積んだため、世界劇場の主演女優に抜擢され、毎日好物のサラミソーセイジのモップを食べる役を与えられるのです。
あっはつはつは。これほどねめちゃくちゃで、爽快な物語をよんだことがありません。(つづく)

絵本のなかのおかしな木 [めちやくちやに]

もう数週間前から、このブログに参加したかつた。どうして、そう思ったかといえば、なんだかめちゃくちや
になにかを書いてみたかつたからである。なぜかといえば、なにか面白いこととか、happyなことは、わたしにとって、いつもめちゃくちゃな気分のときに起こるからである。その日もひどく蒸し暑くて、すこし変わった道を歩いていた。みると、変な木が街路樹として並んで生えている。とうしてもわたしはその木をどこかで見たことがあるような気がした。わかつた、それはマロニエに違いない。マロニエの木はパリのリュクサンブル公園にあり、友達の双子の子どもたちを預けて、大人たちはどこかへ遊びに行ったから、よくおぼえている。いや、あれはリュクサンブル公園ではなかったかもしれない、とにかく緑が鬱そうとしたその公園
には、フローベルの銅像が立っていて、どうしてフローベルはあんなに美しい文体の小説をかけたのだろうとおもったのだけれど。いや、マロニエは韓国のソール大学にも生えていた。しかし、どうもマロニエ
の木というものは、この道路に立っている木とは違うようだ。なぜならマロニエの葉っぱは細くてみっつに
分かれているけれど、いかにも北方の木という感じがする。では、これは橡の木だろうか?けれども、橡の木は枝が各方面に伸びていて、なんだかこのまっすぐ立っているこの道路の木とは全く違う、そんなことを考えているうちに、急に思い出した。この木は最近絵本でみたモーリス・センダックの怪物たちが
いつぱいでてくる本に生えていた。すると、変な太鼓がどんどこどんどこ聞こえてきて、男のこがいった怪物のくにそっくりになる。なまぬるい風が吹いてきて怪獣のくにの王様になった男のこはオーオーと
奇声をあげるのだ。まったく大人になつた女だつて、センダックの絵本にはぞくぞくするのである。というわけで、あの木の名前がなんというのかはまだわからない。(つづく)

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