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宮尾節子「ニューイングランドの朝」詩と世界 [something blue]


ニューイングランドの朝  宮尾節子

「朝は露をおくところ*」
これはニューイングランドの
詩人のこしばだが……

泣いた瞳も
濡れたほっぺたにも
落ちた恋の
池にも

白い封筒に
切手が一枚貼られたように
ことばに ひと粒の
光る露玉を載せて

すべての泥濘
湿った露地や
乾いていない傷口に――

ニユーイングランドの朝が
発見されている
詩人の手によって――

    *エミリー・ディキンスンの詩のフレーズにより

             ※
 この詩は「ニューイングランドの朝」という言葉によって成り立っている詩であると思います。
 これ以外の言葉は不必要だと思える程この言葉だけで成り立っているのです。宮尾さんにとって「ニューイングランドの朝」は唯一無二のものであり、発見だったのです。これを宮尾さんがエミリー・
ディキンスンの死のなかで発見しました。と同時に、宮尾さんの内部にも、全く同じものを発見したのです。そのことが宮尾さんにとって、いかに確かなことであり、大切なことであるかは、二節、三節、
四節の言葉のひとつひとつから、感じ取れます。そのなかでも、特に「すべての泥濘 湿った露地や
 乾いていない傷口に―― あまねく 暁を届ける」にそれを感じます。

 そして、宮尾さんはエミリー゛ディキンスンに頭をたれながら、「ニューイングランドの朝」を書いています。
 世界各地に絶景というものがあり、多くの光景を心に焼き付けます。
 私もお金と時間が゛許すなら、こうした絶景を体験死に行きたい。でも、一方ではある日、ふと見あげた街が全く新しい光景として感じられることもあり、それはある意味では私にとって絶景であると
言えます。そして、ここに私熨しが生まれることもよくあります。恐らく、この詩人にとってニューインクセラントの朝はそうしたものであるのでしょう。

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