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草野早苗「洞へ」詩の住処 [something blue]

洞へ    草野早苗


昔、島で戦いがあって
谷あいの集落の
全員が命を落とした
村人は自分の死が理解できず
今も地下で暮らしている
午後から夜にかけて
雨が止むとき
低い声が谷間に響くのはそのためだ

民宿の主人に言われた
明日の朝
村の裏口の鍾乳洞に行ってみたらいいと
小さな洞の近くに大きな洞があるらしいと
地質学者は言うけれど
大きな洞の入口がまだみつからないのだと

夜明け前
ちいさな鍾乳洞の入口から出入りする
半透明な人々
魚を持ち山菜を持ち
実直な姿で歩く
母親がこどもに何か言っているが言葉の意味がわからない
人々は私に向かい
声を出さずに会釈する
どうぞこちらへと手招きをする
ここに入ってはいけない
ついていつてはいけない
急な驟雨が谷間に降りそそぐ
午後までここにいてはいけない

紫色の島は西方向に遠ざかり
島の上にだけ
透けるように薄い青紫の
絹布のような雲がかかっている
私は自分のポケットに
方解石のかけらを見つけた
それは親指ほどの大きさで
夏の雨ほどの湿った匂いがした

                       ※
 それぞれの詩にはそれぞれの住処というか、次元というようなものがある感じがします。この詩ではそれが初めの一節ではっきりと姿を現しています。それは怪談仕立のようであり、オカルト風でもあります。
 それにしても「村人は自分の死が理解できず」「今でも地下で暮らしている」という言葉には私はびっくり仰天してしまいました。そして、その意味が理解できないままにこの詩の住処をたどるように
読んでいくとそこには、「半透明な人々」や「言葉の意味が分からない人々」がいて話しかけようとします。
 この怪談のような世界は決してグロテスクでも血なまぐさい感じがするものでもありません。
 でも、とてつもない大きな穴が開いているような気がします。「自分の死を理解できず」「命をおとす」ことなどあるのでしょうか?
 もとかしたら、あるのかも知れない。
 ちょっと乱暴な言い方かも知れませんが、原爆や東北大震災、そしていまの日常の生活と思い浮かべてくると、私にはそのことが必ずしも怪談とはいいきれません。
 ひとつの詩が心に残る野は、その詩の一行か、あるいはひとつの言葉があることによって、そうなる場合がよくあります。
 「自分の死が理解できず」というのが、この詩のポイントであり、この詩の住処と思います。このことを私は最後の「方解石」によって実感するのです。この詩をよみながら私はカフカの「審判」の「犬のように殺された」というのを思い出しました。
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