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柳岸津(ユ・アンジン)「自画像」魂の発見

自画像   柳岸津   奇延修(キ・ジョンス)訳
 

生涯を生きてみると
私は私は雲の娘であり、風の恋人なので
雨と雲が、雪と霜が
川と海の水が他でもないまさに私だった事を悟る

ワシミミズクの鳴くこの冬も真夜中に
裏庭の凍った畑を駆る雪風に
心をゆすぐ風の恋人
胸の中に溶鉱炉に火をつける恍惚の嘘を
あぁ、夢中なだけでどうもできない憐れな希望を
私の分として今日の分として、愛して流れること

熟すほどエビの塩辛がおいしくなるように
垢が染みるほど人生がそれらしくなるように
生きるということも愛するということも
垢がついて汚くなり
真実より虚像に感動し
正直さより罪業に恋いこがれ
どこかへ休まず流れていくのだ

いっしょに横になっても互いに別の夢を見つつ
どこかへ休まず流れていくのだ
遠く遠く離れるほど胸はいっばいに満たされるのだ
果てまで行って帰ってくるのだ
空と地だけが住処ではないのだ
虚空がむしろ住む価値があり
漂い流れる事がむしろ愛することなのだ

振り返らないだろう
ふっと振り返れば
私は私は 流れる雲の娘であり
漂う風の恋人であった


                    ※
 とても勢いのある詩だと思います。ひとつひとつの言葉、比喩、イメージ、そして構造、すべてに於いて勢いが感じられます。
 その勢いを支えているのは、ひとりの人間の生き方であり、更にもっと深く魂のようなものだと思います。
 自然や歴史、そして多くの人々とつながっているものなのかも知れません。だから時には自分の力ではどうしようできない程荒々しくあり、人はそれで黙ってみているしかないのでしょう。
 第一連に私はそんなひとりの人間と魂のドラマをみるような気がしました。つまり、これが自画像の
枠なのだと思います。
 第二連以降は、その自画像のデティールが鮮やかに、しかも勢いよく突風のように描かれています。
 私はこの詩を読んでいてゴッホの自画像やムンクの「叫び」などを思い出しました。
 最終連を読むと、魂と向き合って生きていくこの詩人の覚悟が伝わってきます。

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